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過去に受けた子育て系講座の総額50万円以上、不登校カウンセリング料4回分4万5千円、子育てしながら読んだ本(子育て本に限らず、遺伝・生命科学・行動科学・脳科学・自己啓発)100冊以上の知識と経験の中から、不登校になった長男に向き合うために「本当に必要なことだけ」を抽出して7万文字の記事にまとめています。
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以下、「はじめに」の部分を公開いたします。
不登校になった息子と私の9か月間(はじめに)
2020年5月、新5年生になったばかりの長男が不登校になりました。
それはまるで、乗っていた船から突然海に落ちたような感覚でした。「不登校」という海に。
突然足元の感覚が無くなり、自分がどこにいるのかわからなくなる。捕まる場所も無い、どこに向かって泳げばいいのかわからない、陸も見えない。
最初のうちは「すぐに行けるようになるだろう」と軽く考えていたのですが、海は予想以上に深くて、広くて…。
学校に行くことができないまま、時間だけが過ぎていきました。
「このまま学校に行けなかったらどうしよう…」
今は不登校のためのフリースクールもだってあるというし(噂で聞いた程度の知識だけど)、オンラインで学習もできるし(実際やったことは無いけど)…
不安を打ち消す材料をかき集めてみるものの、心から「学校に行かなくても大丈夫」と思えるようにはなりませんでした。
そして「ずっと学校に行けずに引き籠りになってしまうんじゃないか?」と、根拠のない想像を膨らませ、勝手に不安を感じ、その態度は長男にも伝わっていたと思います。
だから「一日も早くこの海から抜け出したい!」って、親の私はずっと思っていました。
不登校になってるのは長男であって私じゃないんだから、私が焦ったところで仕方がないんですけどね。
長男は、どうだったかな?
抜け出したいと思いながらも、かといって学校に行くのは怖いって言う気持ちもあり、相反する気持ちの狭間で、それこそ波のように揺れていたんじゃないかな?
しばらくは親子ともども揺れ動く日々を過ごしていましたが、不登校が始まって1か月近く経った頃、あることがきっかけで、こんな風に考えるようになりました。
長男の不登校は今に始まったことではないのかもしれない。
だとしたら、そんなにすぐに解決するものでも無いだろう。
それなら…
「この海から抜け出すことだけを考えるんじゃなくて、一度深く潜ってみよう。」
「この海の中にあるものを、しっかりと見つめてみよう。そもそも海に落ちたことに、意味があるのかもしれない」
水面でバタバタもがくのをやめて、深く深く潜ってみることにしたのです。
今の生活が変わったとしても長男との時間を優先してみようと、覚悟を決めて、腰を据えて。
すると…海の中には、思ったよりもずっと穏やかな世界が広がっていることに気が付きました。
海に深く潜ることがなければ気付かなかった長男の優しさ、次男の優しさ、長男の苦しみ、長男の才能、知らないうちに犯していた私と夫の失敗。
長男と私、それぞれが自分と向き合うための「時間」を過ごすことで初めて、気づくことができました。
不登校を美化するわけじゃないし、もちろん正当化するわけでもありません。
ただ、しばらくの期間学校に行かない選択をしたことで、見えてくる世界が間違いなくありました。
その世界を見ることができて、私も長男も本当に良かったと思っています。
長男も私も、それまで気付かなかった「新しい自分」に出会うことができたから。
海の中へ潜ってみたことで、私たち親子は不登校という海の泳ぎ方を知りました。
海を泳ぎ切って、元居た場所に戻ったのではありません。
たどり着いた先は、全く新しい場所だと感じています。
不登校の海を泳ぎ切るのに、9か月間かかりました。
なかな進まないように感じたし、先が見えくて焦る時期もあったけれど、今振り返ってみるとあっという間だったような気がします。
最初は、突然「不登校の海」に落ちて、もがいていた当時の自分に届けるつもりでこの記事を書き始めました。
不登校の指南書というよりも、ただ「大丈夫だよ」と伝えたくて。その「大丈夫だよ」と思える根拠になるようなエピソードを記事にしようと。
だけど、書いていくうちに気が付きました。自分がこの記事を届けるべきは、一番自分が子育てに苦しんでいた時期、長男が5歳、次男が生まれたばかりの頃の自分なんじゃないか?と。当時の私は「良い親に見られたい」という思いに捉われてしまい、長男の気持ちに気づくことができず、長男を十分に甘えさせてあげることができませんでした。
それが今回の不登校につながっているかどうか?はわかりませんが、私が本当に「大丈夫」と声をかけてあげるべきは、あの頃の自分なんじゃないか?と思ったのです。
詳細は、また本文で。
この記事には、不登校だった9か月の間に試みたこと、効果を感じたこと、気づいたこと、そして長男が学校に行けなくなった本当の理由やそこに至るまでの「大きな後悔」を、自分への戒めも込めて記録しています。
最初にお断りしておくと、「学校に行けている状態が良くて、学校に行けてない状態は良くない。」という前提ではありません。(本音を言えば「ふつう」に学校に行ってくれたらそりゃもう楽に違いないですが!!)
長男の場合は学校に「行きたくない」わけでは無く、「今は不安な気持ちのが大きすぎて学校に行けないけど本当は学校に行きたい」という状態だったので、「登校」というゴールに向けて取り組んでいこうと決めました。
もちろん、自分の経験が全てでは無いし、不登校のパターンも、子どもの数だけあると思います。
自分がやってきたことだけが正しいわけでは無いということを承知の上です。
それでも、子どもの不登校を経験した一人として、私たち親子が不登校に向き合った記録がどなたかのお役に立てればとても嬉しいなと思い、公開することを決めました。
最後までお付き合いいただけますと幸いです。
目次
1.長男と私たち家族のこと
2.不登校の始まりと見逃していたサイン
3.不登校カウンセリング
4.間違っていた自分の子育て
5.ようやくスタート地点
6.お金で買える安心
7.わたしの知らない息子
8.3歩進んで2歩下がる日々。
9.優しいままで
10.泳ぎ切って、完全登校へ。
11.9か月かけて手に入れたもの
12.あの時の自分に伝えたい
13.信じて見守ることの意味
14.誰も教えてくれなかった不登校という海の泳ぎ方
15.不登校その後
16.エピローグ
長男と私たち家族のこと
【長男(H):当時小学5年生】
小さいころから「おとなしい」タイプ。外で遊ぶよりも家の中でLEGOブロックしたり本を読むことが好き。嫌な事があっても嫌と言えない優しい性格で、人の気持ちをすごく読み取る繊細な気質。夢中になるとそれ以外のことが頭に入らなくなるので「話を聞いてなかった」「呼びかけても返事をしない」ことも多々ある。弟のことが大好きで父親のようにかわいがっている。
【次男(S):当時幼稚園年長】
天真爛漫、お調子者で明るい性格だが、実はものすごく繊細で周りの空気を読んでいる。匂いや味にも敏感で細かいところが気にりがちという点では兄よりもさらに繊細な気質。外遊びも大好きだけど、youtubeで延々ドラえもんやゴジラの動画を見ることも好き。兄のことが大好き。
【母(私):当時43歳】
在宅で仕事している。病院にフルタイム勤務する臨床検査技師だったが、2016年頃から副業をはじめ、長男が4年生になるタイミングで退職し自営業に。不登校になってからは仕事量を減らして付き添い登校中心の生活にシフト。子どもたちのことは大好きだけど、子どもと一緒に遊ぶことは苦手。
詳しい自己紹介はコチラ
副業をはじめて退職に至った経緯の詳細はコチラ
【父(夫):当時44歳】
時々在宅勤務するようになった会社員。家事(掃除や洗濯全般)や育児、私の苦手な書類書きの作業を当たり前のようにこなしてくれる神的存在だが本人にはその自覚無し。感情的になることがなく、いつも安定して優しいパパ。
不登校の始まりと見逃していたサイン
長男が不登校になったのは2020年5月。ちょうどコロナ禍の休校中に始まった5年生の新学期からでした。
でも今思えば、長男はずっとサインを出してくれてたのです。
ちょっと気弱な男の子
長男は2010年3月生まれ。早生まれということもあってか、保育園の頃からみんなの後をついていく感じの「マイペース」な男の子。すごく慎重な性格で、はぐれそうになったりスーパーや公園で追いかけまわしたりした経験は一切なく、いつも私の目の届くところに居るような子どもでした。
1歳から保育園に預けましたが、最初こそ私と離れるときに泣いたものの、慣れてからは「保育園に行きたくない」と主張することは一度もありませんでした。お迎えに行くといつも嬉しそうに寄ってきて、「今日保育園楽しかった?」と聞くときまって「うん、楽しかった。」と答えました。
とにかく「おとなしくて手のかからない子」。長男はずっと、そんな印象でした。それは小学生になっても変わらず、4年生になって最初の不登校を経験するまで「学校行きたくない」と自分から言うことは一度もありませんでした。ただ、そのくらいおとなしい子どもだったので、「からかい」の対象になりがちではありました。
小学1年生の頃、学校の帰りに近所の友達数人分のランドセルを持たされて帰ったり、鬼ごっこで長男が鬼になってる間に他の子達は示し合わせて別の遊びをしていたり(それは長男が泣きながら教えてくれた数少ないことの一つです)。毎回そんなことばかりではなく、仲良く遊んでいるときがほとんどではありましたが、そもそもそれほど気が合うわけでも無かったのでしょう。学年が上がるうちに長男にも気の合う友達ができて、近所の子どもたちとは疎遠になっていきました。
1年生のときは担任のK先生も怖かったようです。児童が間違えたり忘れ物をすると恫喝して叱りつけるのだと、近所に住む長男と同じクラスの女の子のお母さんが教えてくれました。「長男君、K先生にめちゃくちゃ叱られてるみたいでうちの子が心配してたけど、大丈夫?」って。長男から何も聞いてなかったわたしは「そうなの!?」と驚きました。懇談や家庭訪問ではすごく穏やかで、めちゃくちゃ柔和な印象に見えたのです。
長男が何も言わないので「叱られても長男は気にしてないだけなのかな?」なんて、私は気楽に考えてしまっていました。本当は叱られて辛かったけど、親の私に言えなかっただけだったんですけどね。
私は、この頃の自分の首根っこ捕まえて、1時間くらい懇々とお説教してやりたいです。
HSC(highly sensitive child)という言葉を私自身は、長男が不登校になってから人に教えていただいて初めてその言葉を知りました。
アメリカの心理学者エイレン・N・アーロンが提唱した「ひといちばい倍敏感な子」という意味だそうです。
これは、こどもの15~20%に見られます。男児と女児で割合は同じです。幼児の中には、食べ物や部屋の温度を全くと言っていいほど気にしない子もいますが、人一倍敏感な子は、ちょっとした味の違いや、室温の変化でぐずりだし、大きな音や、まぶしい光にびっくりして泣き出します。もう少し大きくなると、心の面でも傷つきやすく、あれこれと心配し、逆に幸せ過ぎても調子を崩すこともあります。
エイレン・N・アーロン (2015)「ひといちばい敏感な子」1万年堂出版 p23
よく見てから行動するので、臆病だとか、怖がりだと思われたりします。細かなことに気がつき、不公平なこと、残酷なこと、無責任なことには腹を立てます。
引用したの箇所はHSCの性質のほんの一部で、敏感さの度合いや種類は子によって全く違うようですが、ある程度共通する性格をまとめて「敏感な子」と分類できるそうです。うちの子どもたちは長男も次男も敏感なタイプで、どちらかというと長男よりも次男の方が典型的なHSCに合致するようです。
次男は、長男が登校渋りをしている頃、私達の様子をよく見ていて、深刻な場面ほどわざと明るく振る舞ってくれていました。普段はものすごく甘えん坊なのに、私が長男にかかりきりで次男に構えないときは、ひとりでサッと幼稚園の支度をするのです。敏感な子は、たとえ幼児でも驚くほどよく空気を読むのだと知りました。
また最近引っ越しをしたのですが、長男よりも次男の方が環境が変わることへの抵抗を示し、より慎重に対応する必要がありました。
HSCのタイプも千差万別で、HSC全般に共通する「正しい対応」というものがあるわけでは無いと思いますが、HSCという特性があると知ったことで、長男や次男の「不安を感じやすい性格」を受け入れ、彼らがどんなことに不安を感じるか?注意を払えるようになったと思います。
チック症
小学校2年生の時、突然長男が頻繁に瞬きをするようになりました。でも、普通の瞬きとはちょっと違うのです。よく観察してみると「チック症」のようでした。
チック(チック症)
引用:ドクターズ・ファイル「チック症」
不規則で突発的な体の動きや発声が、本人の意思とは関係なく繰り返し起きてしまう疾患。根本的な原因は解明されていないが、4~11歳頃の児童期~青年期の男児に発症することが多い。その時期を過ぎれば自然と症状が出なくなることも。
ー中略ー
根本的な原因はまだ解明されていないというのが現状である。しかし、不安や緊張、興奮、疲労などが誘因となりやすい。不安などのストレスや強度の疲労によって悪化しやすく、心身ともに落ち着いている状態のときは改善する傾向にある。
何かストレスを感じているのでは?と思って長男に聞いてみると、同じクラスのある男の子に日常的に通せんぼされたり水筒を取り上げられたりしていました。相手の子は遊びでやっているつもりでしたが、長男にとってはその「からかい」がすごくストレスだったようです。担任の先生や相手の子のお母さんとも相談して「からかい」は無くなりましたが、長男のチック症は4年生になるまで断続的に続きました。
私は知らなかったのですが、チック症って移動するんですね。最初は瞬きだったのが、次は顎がカクカクして、そのあとはロボットのように肩や手頸の関節を動かすようになりました。「ウン…ウン…ウン…」と声に出る音声チックという症状が出ていた時期もありました。ネットの「自然と治まることもある」との記述を根拠に、症状が私たち夫婦は病院に連れて行くという選択はしませんでした。幸いそれ以降チック症の症状は出ていませんが、今でもそれが正解だったのかは、わかりません。
少なくともこの時チック症になったことは、私達夫婦が考えている以上に長男は感受性が強くストレスを抱えやすい性格だということに気づくチャンスだったと思います。長男が抱えていたストレスを家庭の中で発散したり解消することができていないという事実にも。
残念なことに、私は全く気づくことができませんでした。
長男がはじめて「学校に行きたくない」と言ったあの日まで。
くすぶっていた火種
それは4年生の秋のことでした。11月に私と長男と次男、3人でカンボジア旅行に行くことになり、日程の都合で3日間学校を休んだのです。担任の先生にも了承を得て、長男も学校を休まないといけないことはわかっていたんですが、やっぱり少し不安そうではありました。
帰国した翌日は登校できたのですが、その次の日は布団に潜ったまま起きてこなかったのです。どんなに諭してもその日は布団から出ることができず、学校はお休みすることにしました。
休むことを決めてからは少し落ち着いたようだったので「旅行で学校を休んだことを、誰かに何か言われたの?」と聞いてみましたが、長男曰くそれは無いとのことでした。もしかしたら、誰にも何にも言われてなくても「なにか言われたらどうしよう」という不安が大きくなってしまっていたのかもしれません。
翌日は、私も付き添ったことで学校の応接室まで行くことができました。応接室で担任の先生と話をすることで少し安心したようです。結局そのときは1週間ほど付き添い登校を続けた後、通常通り登校できるようになりました。
理由も無く学校に行けなくなるなんて、長男にとっても私にとっても初めての経験でした。カンボジア旅行自体はとても楽しんで、本人も「行ってよかった」と今でも言っていますが、登校への不安を強く感じるきっかけになったことは確かだと思います。
それから約2か月後、冬休みが明けた初日も同じように学校に行くのを渋りました。11月のことがあったので、同じように私が応接室まで付き添い、この時も1週間ほどで登校できるようになりました。
先生と一緒に教室に入ってみたら、クラスの子たちが「あ、アケオメー」と何事も無かったかのように迎えてくれて、そのまま教室に入れたのだと、担任の先生が教えてくれました。
「教室に入るまでは不安だけど、入ってしまえば大丈夫じゃん!旅行や冬休みみたいにイレギュラーなイベントの後で日常生活に戻るときに、たまたま不安を感じただけだったのかな?」
当時の私はまだ、希望的観測も込めて事態を軽く考えていました。
ところが、その年はコロナウィルスの感染拡大により3月1日から突然休校になることが決まり、そのまま春休みに突入してしまったのです。本来なら新学期が始まる4月も休校になり、ようやく学校が始まったのは5月の半ば頃でした。
冬休みに10日ほど休んだだけで1週間学校に行けなかった長男。2.5ヶ月もの長い長い休みを経て、さらにクラスも変わって、そんな状況で果たして登校できるんだろうか…?
私の嫌な予感は、見事に的中してしまったのでした。
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